お問い合わせ

大阪・北海道から全国へ

東穂の想い

ちょっと!変わった「おもろい製品」
チョット!変わった「おもろい会社」を目指して

創業者が夢描いた「自由な風土で技術革新をすすめるものづくり」 その思いは今も受け継がれています。

東穂は大阪で起業しましたが、何故か北海道に工場があります。
「何故 北海道?」 よく聞かれる質問ですが、

創業者は 山口県出身で北海道とは縁も所縁もありませんでした。

創業 間もなく ヨーロッパに視察団として プラスチック工場の見学にいった創業者。そこで目にしたものは
「森の中の平屋建ての工場」「昼休みには 従業員の女性が材料の積まれたところに座り、ワイン片手に昼食」
その光景とヨーロッパの素晴らしい技術に感銘を受けた創業者。
日本でもヨーロッパで見たような工場をつくり、自由な風土のものづくりをしたいと 工場探しの行脚の旅。

当時は1970年代前半のことなので、当然携帯電話等なく、
創業者はいったどこにいったのかもわからなかったと言います。

そして 創業者が行き着いたのが 北海道・美唄。
美唄は当時炭鉱の町であったが 炭鉱閉鎖に伴い 工場誘致を格安で行っていました。
そして 工場の建設には国から融資も得られるという話でした。
工業団地は森の中、創業間もなくで資産もそれほどなかったですが、
イメージどおりの土地に何とかなりそうと感じたのでしょう。

大阪に帰ってきたときには 「北海道・美唄に森の中の工場を建てる。高度経済成長期
これからの押出屋は広い土地が必要だ。」と決めてきたそうです。
思いは“ 産業屯田兵” 北海道開拓を行った本当の屯田兵の方々に比べたらなんのその。

しかしそんなに簡単な訳もなく、国の機関である産炭地域振興事業団に融資を求めるも
もともと60歳を超えてから創業した創業者には 融資も行ってもらえませんでした。
そこで 創業者の長男 2代目 前社長が駆り出され、
「北海道・美唄の土地でやり遂げる、目が黒いうちは撤退しない」と融資課長と男の約束をしました。
何とか融資もしてもらい 工場建設開始。

しかし 直ぐにオイルショックで建設中断。
再び建設開始をし、北海道美唄工場を創業開始に至るも
もともと 北海道に顧客があったわけでもなく、借金は増えるばかり。
それでも2代目 前社長は社内外問わず、色々な人と出会い、助けてもらい、創業者の無理難題
「無借金経営、世界恐慌時に生き残った企業 自己資本比率50%以上、自振手形の廃止」も成し遂げた。
そして 肝心な 自由な風土のものづくり、技術確立も 諸先輩と共に築いてくれました。

技術革新と人間尊重

  • 一、 全社員の物心両面の幸せを追求するとともに東穂独自の技術力でお客様のお困りごとを解決し、利害関係者、社会、文化、経済の発展に貢献する
  • 一、 創造、努力、和を全社員のモットーとし、製品開発、生産技術、顧客サービスへの飽くなき探求、改良、改善を続け企業を発展繁栄させる

ご挨拶

1962年(昭和37年)、創業者(祖父)の國本周一が3人で起業した東穂。
前職で押出成形メーカーに勤務していたこともあり、創業当初からただ一途にプラスチック押出成形に専念してきました。

これまで、大手押出成形メーカーとの価格競争を避けるために、小ロット、難易度の高い形状、特殊な材料など、大手がやらないような製品を手がけざるを得なかったこともあり、チョット変わったおもしろい製品をお客様に提供させて頂いてきました。
「今まで誰もやった事が無い、それならまず、やってみよう!」

そのことが「東穂に頼めば何とかしてくれる!」というお客様からの信頼につながり、ここまでやってくることができました。

「未知へ挑戦!する会社」

これからも新しい技術や材料、人財教育への積極投資を続けながら、品質や生産効率を高めるための挑戦を続けていき、100年続く企業を目指して参ります!

代表取締役

ページトップ